明日は味方
明日は味方
田植え祭りin東成瀬
パン食い競争で見せた笑顔。綱を引く職員に、体を揺らしながら声援を送る人たち。少し冷たい田んぼの水に足を入れ、ただ黙々と植えていく、その姿。
終わってみれば、参加した職員たちは、くたくたの顔でそれぞれの家に帰っていった。そして翌朝、また何事もなかったかのように、それぞれの現場で業務が始まる。
このイベントが、外から見れば「たかが田植え遊び」と笑われるかもしれない。無益で、効率も悪い。だけど、それでもいいじゃないか、と思う。
少なくとも、自分たちはたしかにそこにいて、手と足を動かし、笑い、応援し、汗をかいた。その実感がある。
思うに、本当に大切なことの多くは、目には見えない。けれど、心ではたしかに感じられる何かだ。
そして、そうした何かは、いつだって時間がかかる。手間がかかる。効率とは真逆の営みの中で、ようやく見えてくるものだ。
田植え祭りは、その何かを思い出させてくれる時間だったと思う。
登板日にはビールを
急いで水口に向かうと、誰かが引き込み板を取っている……こらーっ!!!!
朝から怒りMAX。しかし、深呼吸して自分の身長と同じくらいに跳ね上がった血圧をなんとか下げる。とにかく、もう一度ありったけの水を田んぼに引き込んだ。
正午には水も溜まり、なんとか代掻きに間に合った。
付け焼き刃はハゲやすい。でも今日は、間に合ったことに意味がある。
ひとつの“終わり”が訪れた。スーパースター、長嶋茂雄の訃報。
自分は彼の現役時代を知らない。けれど、知らないはずなのに「知っていた気がする」。
それほどまでに、長嶋茂雄という名前は空気のように日常にあった。
親戚にひとりはいるカリスマ的な叔父さんのように──そんなふうに例えたくなるのも、どこかでその“近さ”を感じていたからかもしれない。
いまの子どもたちが、大谷翔平のホームランに目を輝かせるように。スーパースターとは、たとえて言うなら、「太陽」とか「灯台」だと思う。世にまぶしい光を与え、暗闇の道しるべになる。理屈抜きで尊い。何か理不尽なことがあっても、悲しいことがあっても、世界のどこかで彼らの活躍する彼らの姿を見ると、なぜか起き上がれる。また頑張ろうと思える。そういう存在だと思う。
決めていることがある。大谷翔平がピッチャーとして登板する日は、いつもより少しだけ贅沢にお祝いする──と。
国民の祝日にしてもいいと、わりと本気で思っている。その日は、会社を休みにしても誰も文句を言わない。
昼からビールを開けて、ワインを注いで、みんなでテレビの前に集まろう!子どものように目を輝かせる。
そんな日が、たまにあってもいいじゃないか。
農家の仁義なき戦い 〜枯れる前に水を引け〜
“自分の都合や利益だけを考えて行動すること”。
なるほど、そうだろう。だが、水がなかったら、うちの田んぼ全滅するじゃあないか。
「ーー他者に遠慮せず、必要なものは取りに行く。主体性の象徴。枯れる前に、水を引け。二の四の言っていないで、実行すること。寄付や善行は、まず自分が稼いでから!」
そう胸に言い聞かせ、自分の田んぼにMAXでありったけの水を引っ張った!!!
ウドを採りに
水曜日の田植え祭りにウド汁を出すために、東成瀬村の奥の奥、奥羽山脈の麓まで足を伸ばす。雪がしぶとく残る場所でなければ、今時になっていいウドは採れない。
初めての山に入り、沢を登ること2時間半。岩が雨に濡れて滑りやすい。転びながら、カッパを採りながら登る。熊に失礼がないように、何度も「お邪魔しまーす!訳あってきました!」とハッキリと大きい声で挨拶しながら進む。熊にカッチャかれず、ようやく辿り着いた残雪の場所。そこに顔を出しているウド。1ヶ月季節が違う。
炊飯器のなかの陰謀論
原因は、何か。クボタの担当者に聞いたら、「輸出が増えたからです」と、割とさらっと答えてくれた。
でも、調べてみたら20〜30%程度の増加。思ったよりも、伸びていない。
え、それだけ?と思ったまま、検索窓をまた開く。
次に、観光客かもしれない、と思った。去年1年で3,600万人が日本に来たらしい。3泊4日。1日3食で、1人あたり12食。1食あたり75gの米を使うとしたら――合計で、32,400トンの米が食べられている計算になる。大きい数字だ。でも、日本の年間米生産量から見れば1%未満。(計算間違ってたらごめんなさい)これで価格が2.5倍?……にはならないよな~。
となると、やはり見えない何か、誰か、ではないか。
酒田の山居倉庫で見た本間宗久の展示を思い出す。江戸時代、米の先物で財を成した相場師。彼のような存在、あるいは、もっと巨大な組織。JAか、どこかの投資筋か。そんな影が、今の市場にもひっそりと差しているのではないか。輸出でも、観光でもない。価格を動かす何かが、きっと背後にいる。そう、ふんでいる!





