明日は味方
明日は味方
Mountains still there
2023-02-10
人は高いところがあると上ってみたいと思ってしまう動物だとテレビで言っていた。高いところには他の動物が手にすることができない食料があったり、どこかに食料がないか森を一望できる環境があるのだ、と。それが本能的に遺伝子に組み込まれているから、自分も山に行くと高いところ高いところへとついつい手と足を伸ばして行ってしまう。数年かけて、近所の名もなき山々をかなり制覇したのもその遺伝子のせいかもしれない。日が昇るのと同時刻に頂きに立って、遠く遠くに会社へと向かう人や車を見る。聞こえるのは鳥の声だけで人は誰もいない。人間の営みに必要な法律やルールから解放されて、山は太陽の法則に従ってただただ動いているとわかる。この眺めと、気持ちは登った人間にしか味わえない。
職員で、特に若い職員で多いのは、1年以内で辞めていく人だ。仕事の満足や強固な人間関係を作ることは、一朝一夕で成し遂げられることではない。どんな職場でも、自分が働こうと決めた場所で結果を残すためには、いくつもの試練を歯を食いしばって乗り越えなければならないことがいくつもあるだろう。考えられ得るルートを全て試す体力と勇気が必要だ。獣道を選んだせいで、熊に遭遇してしまうこともあるだろう。それで山を降りてもいいけれど、それを熊のせいにはしないでほしい。別の道を探して、登るか登らないかだけだ。
彼らが無事に頂上に登ってもらえるように自分はガイドをしなければならない。
でも、そんなことも山は一向に気にしない。山の頂きはただそこにある。
パンドラの箱
2023-02-09
みんなの話を聴いて直感したのは、『このメンバーなら必ず良い結果がでる』と言うことだった。デイサービスの会議の後の印象である。自分はただ聴くだけでよかった。余計な事を言わずとも、話が進み、口下手な人のフォローも他のメンバーがしっかり入れてくる。最初にしては、上出来ずぎやしないか、と揺さぶりをかけたくなるのを抑えながら1時間があっという間に過ぎた。自分が思い描くデイサービスの進むべき道とこのメンバーが思い描く道は、同じ方角を向いている。彼・彼女らに希望を持たせてもらった。
話は飛ぶが、ギリシア神話のパンドラの箱の話を思い出した。『パンドラ』は、最高神ゼウスが、人間に災いをもたらすために作った初めての美しい女性。当時、地上には男性しかいなかったが、人間の女性として箱を持たされたのだった。この箱こそパンドラの箱で、この世のありとあらゆる 災害、厄、病気、苦難、嫉妬、悲しみ、争いなど考えられ得る限りの災いが箱に詰まっていた。「絶対に開けてはならない」と言われた箱だったのに、パンドラは開けてしまう。そしてパンドラがその箱を開けた途端、地上にありとあらゆる災いが吹き出した。これによって人間はありとあらゆる災いに苦しむようになったという話だった。でも、この後の話が良い。あらゆる災いが出尽くしたはずの箱の中をパンドラが覗いてみると、なんと『希望』だけがそこに残されていたのだった。
当社のデイサービスは、ご利用者に『明日への希望』を届ける。あらゆる苦難の最後の最後に、生きがいや楽しみをもう一度再発見できる場所に必ずしてみせたい。
薪割り
2023-02-08
暖をとる、ということは、元をたどっていくと動物と樹木の屍の上になりたっている。でも、そんなことを考えさせる余裕を現代社会は与えてくれなくなった。目に見えなくなったものは、たいていその存在を忘れさられるのだ。だからというべきか、代々、木こりたちは、斧を振りながら無意識に木にお礼を言っていた気がする。そして木を切った分だけ、ちゃんと新しい種を播いてきたような気がする。
朝から職員と薪割りをした。日頃の憂さ晴らしをするかのように、大声で叫びながら、斧を上段から一気に振り下ろしていた。それを見てこっちも笑顔になってしまった。笑いながらも、『労災案件だけは勘弁して欲しい』と何度もお願いした。
もう、みんな汗だくになって、暖をとる必要がなくなっていた。
- 朝霧の 山にこだまする 薪割りの 斧握る手に すべて込めたり
求人
2023-02-07
求人している。調理員ひとり、事務員ひとり。どちらも人手が足りていない。だれかいい人がいれば紹介してほしい。素敵な出会いがありますように
予定通りのスケジュールをこなして意気揚々と帰路ににつくはずだった。 午前中は税理士と面談し、午後は取引先と話した。合間合間に職員とも話しができた。
ただ一つ、昨日提出期限の書類を一つ忘れていた!!!役所から電話が来たらしい。機転を利かせた管理者のSが対応してくれて、難を逃れた。Sよ、ありがとう。明日行くからな~
金と月
2023-02-06
金曜はコミュニケーション不足からイライラが積もる日だった。こちらの思いが完全に伝わっていないために起こる。このフラストレーションを保管している自分の風船みたいなものは、他人と比べてすごく小さくて脆い。すぐに爆発してしまわないか、自分でも不安になる。仮に爆発したら、後で後悔してしまいそうだったので堪えた。アカデミー賞の授賞式でウィルスミスが司会者を殴ったときのように、冷静さを欠いた言動は後々の自分に謝罪の場を用意してしまうことがある。来週の自分に対応を任せることに決めて、 今は宮沢賢治のように”アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ”いよう、と週末を過ごした。過ごしながら、怒りの源泉をたどり、自分に何が足りなかったのか、相手にどういう風にして欲しかったのか、何度も考えた。
今朝、金曜日に意思疎通があまりうまくできなかった二人に改めて自分の思いを伝えた。伝えたが、やはり3割も伝わっていないと思う。それは、言葉の選択力や語彙力のなさと、相手を傷つけまいとするオブラートを依然として使ってしまっているからかもしれない。それでも、話してみて、相手も少し納得してくれたおかげで、気持ちは楽になった。自分は上から押さえつけるようなトップダウン型のやり方は極力したくない。伝家の宝刀は抜いてしまっては威力を損なうのだ。抜きそうで抜かない、これがいい。だから、職員が自分で自分を見つめて改善していくボトムアップ型にするために、何度も何度も何度も何度も会話をするしかない。これが今のところ自分にできることではないだろうか。時間をおくことは大切だ。改めて冷静に考えてみて、金曜日なかった選択肢が、月曜に現れたりするからだ。小さなズレはやがて大きなズレを生む。折り紙の初めのところで、ハジとハジを慎重に丁寧に合わせていかないと、最終的に鶴がカラスになっていることもあり得るのだ。
如月の 黄昏時の西の空 家路に見えたる 金星と月